倉庫の奥から、一冊の本を取り出す。
表紙を叩けば埃が舞い上がった。

「……げほ、ひでーなこりゃ」

パタパタと顔の前で手を振りながらも、思わず苦笑がもれた。
『永遠なるもの、および正義の名を持つ悪魔についての所見』
表紙をめくり、懐かしい序文に目を通しながら倉庫を出る。
羽音に顔を上げれば、使い魔がふわりと肩に止まった。

「お前はこれ、しらねえだろー?」

軽口を叩きながら、青い空の下、パラパラとページをめくっていく。 最後の1ページに視線が至れば、つい立ち止まる。
並んだ、顔も知らぬ術師たちの名前。書体は古く、インクはかすれ、読めなくなっている過去の人々。 その人々の終わりに、懐かしい名前が並んでいる。

『……George Faustus. Corl Faustus. Marfa Faustus. Fess Faustus.』

そっと、名を指で撫でる。
コール、マールファ――顔も知らぬ兄弟子と姉弟子。彼らが夭逝してジョージは自分を弟子にした。

『ジョージ・フォースタス、今は“最後の術者”と名乗っている。
 ……だが、お前がいる。最後の直弟子よ、お前にいずれ、この名を譲る』

つ、と名をなぞり上げていく。 この書に耽溺し、そしてここに名を残した数々の魔術師。
血など一滴たりとも繋がっていないけれど、自分は彼らの術を受け継いでいる。

世間から見れば、フォースタスなど無名に等しい。
無名で――名をはせたのは初代のみで、無力な魔術師たち。 他の魔術師が力をつけていく中、頑なに魂と契約にこだわり、衰退していく。
初代は真理を悟り、快哉をあげた。
『時間よ止まれ、汝はいかにも美しい』――と。
その高みを目指して、その感動を求めて。
至高の天へと上り詰めるその瞬間を、ただ一心に求めて。

彼らは、ゆっくりとゆっくりと、前進していた。
師から弟子へ。弟子は師となり、そして新たな弟子へ。
術を継承し、そして真理へとゆっくりと歩を進めていた。

きゅ。音がするほど唇を噛み締めていたことに気付いて、苦い笑みで痛む唇を誤魔化す。

「ジョージ・フォースタス最後の直弟子、……か」

『最後の術師』その名を貰い受ける前に、時間は過ぎ去ってしまった。
結局自分はようよう使い魔しか使えず、 師の手ほどきなしに四大の霊と契約することなど出来ず、 魔術の道を断ち切るように、雑貨屋なんてものをやっている。

笑んだままの唇からため息を洩らして、空を見上げた。
馬鹿みたいに青く高い空から、師はこんな自分に呆れているだろうか。

「……でも、いい案浮かんだんだよ。これで――勘弁してくれよなぁ」

流れを断ち切ってしまった自分への情けなさ。 背負ったものを放り出す罪悪感。
そんなものを、感じないわけではない。

けれど、今出来ることを考えたら、これしかなかった。

魔術理論が苦手だと零していた、あの魔法使い。 カンで魔術を使うだなんて、才がない自分からすれば、羨ましいを通り越して憎たらしい。
けれど。

「……0と1は、絶対違うと思うんだよ」

音を立てて書を閉じる。口角に浮かんでいる笑みから、自然と苦いものが消えていた。
魔術の才と、理論を兼ね備えた一人の魔術師……いや、彼に言わせれば魔法使いか。
そこから流れゆく、脈々とした魔術師の系譜。 それはきっと素晴らしく、力強いものになるに違いない。
空を見つめる目を瞑った。光から目をそらすのではなく、ただ――瞑った。 遠ざかった光はそれでも、瞼の裏に透けて見える。

「名前に――こだわるよりさ。悪くないと、思うん、だ」

彼はフォースタスではない。 けれど、彼の行く先にフォースタスの築き上げたすべが、光となって道を照らす。
そんなことがただの一度だけでもあれば、断ち切られた流れは蘇る。
わずかに――かすかにだけれど、彼の中に受け継がれていく。

小さな息をついた。笑みを含んだ表情で、手の中の本を見下ろす。
たくさんの魔術師を知っていたけれど、この本を手放さなかったのは――

「…………じゃ、な」

ぎゅっと本を抱きしめて、小さな祝福のキスをひとつ。

――そうして、また、歩き始めた。