月明かりも風も、ひどく冷たい夜だった。歓迎してくれるという依頼人の誘いからこっそりと抜け出して、 街外れの木に身を寄せる。
眼底が熱っぽく痛むのは、ホルストの街につく前に散々泣いたからだろう。人前で泣くなんて、 5つの子供じゃあるまいし――見ないふりをしてくれた仲間がありがたい。
はあ、と大仰にため息をついて空を見上げた。梢の隙間から覗く月の大きさに、目を瞑る。

単なる好奇心で、すべては始まった。
自分の情けなさを思い知らされる、一連の仕事。
竦む足を何度も叱咤して、少女を幸せにしたいと願って、走り続けた。
ゲートをくぐって、姿の見えない組織と対立した。
この世界の外とやらにまで行って、そうしてすべてが終わって、こうして座っている。

これですべてが終わった。胸中で一人ごちる。

(大丈夫。「君」は幸せになれる。
 「君」の幸せを求めて、みんな頑張ったんだから)

仲間は必死に走った。そのおかげで、あの隠者の心を変えた。
彼女の魂は転生して、新たな生には希望が満ち溢れている。

――けれど「コフィン」は、もういないのだ。

暗い石櫃の中、愛されないことを嘆いていた彼女。
たったひとつの救いに、縋りついていた彼女。
好き、の一言に泣きそうな顔をした彼女。

出来るなら、あの彼女を青空の下に連れて行きたかった。
世界がどれだけ優しさに満ちているか、伝えたかった。
世界中に溢れているたくさんの幸せを、ほんの少しでも伝えたかった。
そして、あんな寂しそうな悲しそうな笑顔ではなくて、嬉しくて楽しくて喜びに溢れている―― そんな笑顔を浮かべてほしかったのだ。

ぼたりと、涙がまた膝に落ちた。鼻水をすすり上げて、しゃくりあげる。
コフィンが求めていた、幸せ。幸せを求めていた日々のことを、生まれ変わった彼女は覚えていない。
途切れた過去にいた彼女は、孤独なままだ。時が止まることなどなく、自分も、仲間も明日へと歩いてゆく。 今は失われた記憶を持つ彼女は、取り残されてしまう。
あの寂しい笑顔のまま、たったひとり。

幸せにしたかった少女の、笑顔に溢れた生が始まっている。
すべてが終わったのだ。
自分に出来ることなど、もはや――

街外れ、大きな月から隠れるように泣き続ける。
しゃくりあげては声を殺し、鼻水を啜り上げては咳き込んで、 自分でもこんなに泣けたのかと呆れるほど、泣き続ける。

彼女が流せなかった涙の分まで泣いて、過去の彼女が少しでも救われればいい。
彼女の悲しみをすべて、泣いた痛みに変えて、覚えておこう。
寂しそうな笑顔を胸に残して、明日へと歩いていこう。
今は幸せな彼女の、寂しくて悲しい記憶は全部、持っていく。

そして同じ空の下で、彼女の幸せを祈り続ける。
いつか、本当にいつの日か。
胸の中で寂しく微笑む彼女にも、この祈りが届けばいいと願って。

暗闇にぽっかりと浮かぶ月。
胸を過ぎるは、あの彼女の最期の笑顔。